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学校の検査 校則 身体 色覚

2026.5.14

昨年度、福岡県直方(のおがた)市で開催される「第25回のおがた男女共同参画フォーラム」に、展示協力をしました。

直方市は令和5年度4月から、すべての中学校で、新しいブレザータイプの制服(標準服)を導入しました。その制服が示されることとになったため、「ジェンダー展」の協力をしたのです。

制服に関してはようやく多くのところで、話題になってきて、男女を決めつける制服はやめようという動きになってきています。男女問わずスラックスかスカートを選択でるようになってきているのが最近の流れです。

自由な選択肢を提供する一方で、制服そのものを無くしてしまおうという議論にはなかなかなりません。

福岡市立の中学校ではようやくブラック校則の見直しが進み出しました。(図1)

(図1)校則が変わる、生徒が変わる、学校が変わる/苫野 一徳 (監修), 古田 雄一 (著, 編集), 認定NPO法人カタリバ (著, 編集),学事出版

市内の中学校で”男女別の制服規定”・”アンダーウェア用Tシャツの決まった色の指定”・”頭髪についてツーブロックやポニーテールの禁止”など、5つの校則がなくなると発表されました。”眉毛を整えること”・”靴下の色の指定”などについても、見直しが進められているそうです。

ここでしっかり考えておきたいことは、ただブラック校則をやめようではなく、それプラスなぜその校則が管理され維持され続けていたかです。そこの問題構造をしっかり記述しておくことが重要とおもいます。おかしいと思いながらも、あるいはおかしいと思わず、”誰かが中学生の下着の色をチェックし続けてきた構造”を考えることが次の仕組みにデザインにつながるとおもいます。

校則、校則検査以外にも学校にはさまざまな検査がありました。

15回でも少し触れましたが、色覚多様性は昔は色覚異常、色盲といわれていました(図2)。色に惑わされない2型色覚の人は狩りに有利だったという考え方もあるようです。集団生活をしていた頃は、リーダーシップを発揮し統率することが得意な人、槍や石を遠くに投げられる人、足が速い人、獲物をはこぶ腕力が強い人、そして色に惑わされず獲物の輪郭や動きを見つけやすい2色型色覚の人などで役割分担をしていたのではないかという仮説があるそうです。そのため5%とそこそこ大きな割合で、特に男性に多い理由であるというものです。

(図2)色覚検査廃止から何を学ぶのか/日本教職員組合養護教員部(編)

2色型色覚に限らず、遺伝的に残っている”不利”や”病気”と言われるものは他にもたくさんあります。生物的には劣勢や障害・病気ではなく、それを劣勢や障害・病気似してしまっているのは、私達の社会の仕組みかもしれません。優か劣か、ではなく、生物としての我々を自ら理解し、社会全体の多様性それはいろいろあるだけではなく連続した分断されていない柔らかな流体として捉えていかないといけないのかもしれません。

人間が狩猟生活を行っていたのは600万年と言われています。印刷技術が普及し印刷に色が使われ、記号的に色が使われるようになった現代生活は、ごく最近せいぜい500年程度のはなしです。

今はごくごく一部ですが、2色型色覚では就けない仕事があるということやハンディがある仕事があるとも言われていますが、これもはっきりしていないこともあります。これが色覚検査復活の根拠のの一つと言われていますが、本当に差し障りがあるのかどうかもはっきりしていないところもあるそうです。またあったとしても、本人の責任したり、自由の幅をせばめることを作っていいのかどうか、社会の責任も大きくあろうかと思います。当事者も非当事者も事実を知り、科学的に正しく事実をしり、そして2色型色覚の人も3色型色覚も住みやすいような世の中を作ることが、より重要だと考えられています。600万年間使われてきた生物の機能が、500年ほどの人間生活の変化にあっていないということは、当たり前のことなので。

昔「色盲検査」といってた検査(複数のドットで構成された麺の中に同様数字が浮かび上がる 石原式色覚検査と言われたものです。)は、以前は小学校4年生で行われていましたが、2004年頃からは希望者のみの検査となっています。しかし、自分の色覚を理解しておくことも重要なことなので、また2015年頃から検査が再開されているようです。

 学校における児童生徒等の健康診断は学校保健安全法で定められています。

● 学校教育の円滑な実施とその成果の確保に資することを目的とし、子供の健康の保持増進を図るために実施するもの。

● 学校生活を送るに当たり支障があるかどうかについて疾病をスクリーニングし、健康状態を把握するという役割と、学校における健康課題を明らかにして健康教育に役立てるという、大きく二つの役割です。

児童生徒等の健康診断における検査項目(学校保健安全法施行規則第6条)

1 身長及び体重

2 栄養状態

3 脊柱及び胸郭の疾病及び異常の有無並びに四肢の状態

4 視力及び聴力

5 眼の疾病及び異常の有無

6 耳鼻咽頭疾患及び皮膚疾患の有無 

7 歯及び口腔の疾病及び異常の有無 

8 結核の有無

9 心臓の疾病及び異常の有無

10 尿

11 その他の疾病及び異常の有無

となっています。検査として具体的な値や状態を確認する項目と異常の有無をみる項目があります。科学の常識もかわりますので、制度的な検査だけではなく、検査でみようとしている”異常”とはなにかを考えておくことがリーガルデザインにつながるような気がします。異常とみるための閾値の根拠は統計的なものか?経験的なものか?医学的なものか?行政的なものか?法的なものか?を考えることが重要です。そしてその根拠の思想も合わせて考えることが重要ではないかともいます。

なぜなら、方法と目的の関係はあやふやだからです。方法は同じでも目的が変わっていくことも多々あります。健康診断は、もともとは徴兵のための検査からはじまったそうです。足が短いと重心が低く安定するからいい兵士になる、だから座高を測っていたという話もあります。ほうんとうかどうかよくわかりませんが、座高の値が小さかったら、徴兵されなかったのか、そんなことはなかったと思いますので、座高をはかる意味自体もあったのかどうかわかりません。戦後は人間工学的な人体寸法の統計データ獲得や健康管理の目的に変わっていきました。

「寄生虫卵検査」もなくなりましたが、始まった当時1958年は、寄生虫発見率は約3割でした。水洗トイレの普及などで1%未満に低下しました。5%以下になって40年、1%以下になって20年たってようやく廃止されました。見直すという仕組みがないと、一度決めたことを書いづらいのも事実です。

方法は変わらなくても人間の状態や学校・社会の環境も変わりますが、制度的方法は残っていきます。思想を理解していないと、誰も意味がわからないがずっとやっているからやっているという、ありがちなお役所仕事になってしまいます。

 更に、検査や制度は、ソフト的なものとだけとして捉えられますが、健康診断をどこで誰がどんなふうにやるか、といったことも大変重要です。小学校で問題になっていることがたくさんあります。健康診断のとき裸にさせたり、外から見える教室環境であったり、診断者が威圧的であったり、広い意味の環境デザインが充分でありません。健康診断のとき裸になるかどうか、こういった議論の場合、「裸になるか」、「裸にならずに背骨の変形を見逃すか」といったおかしなトレードオフの構造に持っていってしまう場合もあります。

「上半身裸にさせる学校健診、京都市は見直さず 「正確な診察をすることが重要」」といった見出しの記事がありました。半身裸にさせる学校健診の見直しを求める声が各地で上がる中、京都市教育委員会は、裸で実施する従来方針を維持する考えを市議会代表質問の答弁で表明した。と記されています。

 理由は「学校健診で脊柱側弯症が見逃され訴訟になっている事例がある。正確な診察を実施することが重要」だからだそうです。着衣をしていることが理由で見逃したのか、脱衣であれば100%発見できるのか、そんなことはないと思います。

子どもたちは恥ずかしいし、過去にあった医師による健康診断時の盗撮事件は親も子も不安で仕方ないのです。

「子どもが嫌がる裸にならずに、不安に思わせず、適切な診断を行う(方法を皆で考える)」が答えだと思うのですが、二者択一、二項対立的な論破合戦のようなやり取りでない、どちらも解決するという”厄介な問題”を解決するというデザインの方法を社会化していくことも重要と思います。

検査というと特に、余り考えることなく、問題意識なく受けなければいけない、国からのお達しだから、となります。もちろん目的を持った正しいことのほうが多いのですが、強い枠組みで矯正されることが多い検査だからこそ、一義的でないか、目的と方法があっているか、他の方法はないか、権威に遠慮している人はいないか、そんなふうに一つづつ、いちいち感じられる心構えが社会包摂デザインのセンスなのかもしれません。

医学と社会学に基づいた新しい健康診断をデザインするというような気持ちを持てるかどうかということだと思います。

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