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60年前の少子化——八百屋お七と丙午——

2026.6.8

今年は丙午です。私は1966年、昭和41年の丙午の年に生まれました。丙午という言葉を聞いて、ピンとくる人は今ではもうそれほど多くないでしょう。干支や迷信が生活に密接であった時代は終わりました。しかし、六十年前の統計をひもとくと、少し違ったものが見えてきます。

昭和四十一年の出生数は、前年に比べて約四十六万人も減少しました。戦後のベビーブームを経て、出生数が高水準で推移していたなかでの、異様な落ち込みでした。理由は明確です。「丙午の年に生まれた女性は気性が激しく、夫の命を縮める」という迷信が、社会の隅々にまで浸透していたからです。
多くの人は、この話を「昔の非合理な迷信」「さすがに関係ないとは思うが、、、」と受け止めていました。それでも六十年前、日本社会は、ありえないと分かっていながら、出生を避けたのです。

これは単なる無知の問題ではありません。ここでは、丙午という出来事を迷信の是非として論じることを目的としていません。社会が判断を避けるための物語をどのように共有し、どのように行動を揃えてしまったのかを考えていきたいと思います。

ありえないと分かっていながら、四十六万人分の出生が避けられ、その両親にあたる約九十万人が、この迷信を受け入れ、回避行動をとったのです。ここに、人間と社会の意思決定の特徴がはっきりと現れていると言えるでしょう。

人は、確率が低くても、影響が人生規模になると、それを回避したくなります。「もし万が一があったら」という想像が、理性を上書きする。しかも、避けることで失うものは「一年」だけです。一方、避けなかった場合に背負うかもしれないのは、結婚、家族、周囲からの視線、将来への後悔といった心理的負担でした。避ければ、「時代」「風習」「周囲の空気」に従っただけで済む。避けなければ、「自分で判断した」ことになる。不確実な状況において、人は判断そのものを回避しようとします。丙午は、信仰というより、責任回避の仕組みとして機能したのかもしれません。

明治三十九年、一二〇年前にも、出生数は同じように落ち込んでいます。減少数は六万人程度と小さいものの、前後の年と比べると、明確な減少があります。丙午は、六十年ごとに、静かに、しかし確実に人口の流れを歪めてきたと言えるでしょう。

干支の六十年周期は、十二支と十干という二つの系列を組み合わせた結果として生まれます。十二支は十二年で一巡し、十干は十年で一巡します。十干にも十二支にも陰と陽が割り当てられ、年の組み合わせは陰同士、あるいは陽同士でなければなりません。このため、両者が同時に元の組み合わせに戻る最小の周期が六十年となります。

還暦とは、単に「長く生きた」ことを祝う年ではなく、世界の配置が、生まれた年と同じ型に戻るという、きわめて構造的な節目です。元に戻ることを意味する祝祭的な概念でもあります。人生の節目として祝われるこの循環が、同時に忌避の周期としても機能してきたことは、興味深く、そして不気味ですらあります。

干支や十干そのものは東アジア各地に存在しますが、還暦を個人の年齢概念として祝う文化は、日本で特に強く定着しました。暦の循環が、そのまま人生の循環として理解され、赤い衣をまとい、生まれ直しを祝う。この暦と人生を直結させる感覚は、日本社会において独自に強化されてきたものだと言えます。


丙午の象徴として、しばしば引き合いに出されるのが”八百屋お七”です。八百屋お七は、特定の作者や単一の作品に属する人物ではありません。実在事件を起点に、説話・仮名草子・浄瑠璃・歌舞伎へと繰り返し語り直されてきました。
お七の物語は、井原西鶴「好色五人女」(図1)によって定着し、のちに浄瑠璃・歌舞伎の世界で「伊達娘恋緋鹿子」などの舞台作品として完成度を高めていきます。

重要なのは、お七が近代文学的な主人公ではなく、情念・逸脱・破滅を象徴的に体現する存在として造形されている点にあります。日本近世文学では、個人の心理よりも、社会秩序を揺るがす力が人物を通じて可視化されることが多く、お七はその典型と言えるでしょう。

また彼女は、悲劇のヒロインとして同情される一方で、火を呼ぶ存在として忌避されてもきました。この肯定と忌避の二重構造こそが、お七像の核心です。

恋のために放火に及び、火あぶりの刑に処された若い女性。情念に突き動かされ、秩序を破壊した存在として語られてきたお七の物語は、やがて「丙午の女は恐ろしい」という定型イメージと結びついていきました。

お七の物語は、史実としてよりも、むしろ戯曲として完成された存在です。浄瑠璃や歌舞伎において繰り返し上演されるなかで、彼女は一人の少女ではなく、象徴へと作り替えられていったのです。

丙午の女は、こうして作られていきました。

ここで少し具体的な数字を見てみます。六十年前と一二〇年前の出生減について、もし丙午で出生数が減らなかったと仮定し、その子や孫の世代までを当時の出生率で簡単に推定してみると、現在の日本人口との差はおおよそ二百万人程度になります。もちろん、翌年の出生数増加などは考慮しておらず、あくまで簡易的な推定です。

現在の人口規模から見れば、二百万人は決して小さな数字ではありません。ただし、二〇五〇年の一億人割れに対して、決定的な影響を与えるほどでもないでしょう。

しかし、丙午が本当に恐ろしいのは、人口を減らしたことではありません。根拠のない言説が、社会の行動を変えたという事実です。自然災害でも、戦争でもありません。法律でも、政策でもありません。これは、社会が自分自身に対して行使した、極めて静かな介入でした。

誰も強制されていない。誰も命令していない。それにもかかわらず、結果は明確に現れました。この構造は、決して過去のものではありません。

多くの場合、人は「自分はそう思わないが、他人がどう思うか」を基準に行動を決めます。判断を先送りし、責任を分散し、空気に従う。その結果として、合理的ではないが、摩擦の少ない選択が繰り返される。丙午とは、そうした意思決定の型なのかもしれません。(図2)

丙午の話を、悲観的な教訓としてだけ捉える必要はありません。なぜなら、この出来事が示しているのは、社会の脆さだけでなく、社会の可塑性でもあるからです。

法律が変わらなくても、制度が動かなくても、人々の間に共有された雰囲気や語られ方だけで、出生という最も私的な選択が、これほどまでに揃って動いた。それは恐ろしいことでもありますが、同時に、希望でもあるかもしれません。社会は、規制や強制によってだけ変わるのではありません。空気によっても変わります。しかも、誰かを排除することなく、命令することなく、これからの社会は、空気を、同じように共有することができるかもしれません。少子化を止める魔法の政策はないでしょう。ですが、空気を丁寧につくることはできると思います。

今年、丙午の影響はもうないでしょう。少子化を憂う感覚が社会の大勢を占める一方で、減少してもよいと捉える若者も少なくありません。

この一年、そしてこの先も、皆で考え続けていくことが大切なのでしょう。丙午は終わった出来事ではなく、判断を避けたいときに立ち上がる型として、今も社会の中に存在していると私は考えています。丙午は暦ではなく、社会が不安とどう折り合いをつけてきたかの履歴なのだと思います。(図3)


【デザイン・リーガル・ディクショナリー】

少子化社会対策基本法:
急速に進行する少子化に対応するため、2003年に制定された法律である。少子化対策に関する基本理念を定め、国・地方公共団体・事業主・国民の責務を明らかにするとともに、子育て支援、保育サービスの充実、雇用環境の整備、教育や啓発などの施策を総合的に推進することを目的としている。これに基づき、政府は少子化社会対策大綱を策定し、少子化対策を計画的に実施している。
(参考:e-Gov法令検索「少子化社会対策基本法」、https://laws.e-gov.go.jp/law/415AC1000000133 )

母子保健法と母子健康手帳:
母子保健法は、1965年に制定された法律で、母性並びに乳児および幼児の健康の保持・増進を図ることを目的としている。同法第16条では、市町村は妊娠の届出をした者に対して母子健康手帳を交付しなければならないと定めている。母子健康手帳には、妊娠中の健康状態、出産の経過、乳幼児健診、予防接種などの記録が記載され、母子の健康管理に活用される。妊娠期から子育て期までの継続的な保健指導を支える重要な制度である。
(参考:e-Gov法令検索「母子保健法」、https://laws.e-gov.go.jp/law/340AC0000000141 )
(参考:こども家庭庁「母子健康手帳の交付・活用の手引き」、https://www.cfa.go.jp/assets/contents/node/basic_page/field_ref_resources/0b505d2e-87a3-488b-a78c-46a38fbcf38b/0b72c0c4/20230401_policies_boshihoken_manuals-etc_12.pdf )

優生保護法:
1948年に制定された法律で、「優生上の見地から不良な子孫の出生を防止するとともに、母性の生命健康を保護すること」を目的としていた。遺伝性疾患や障害を理由とする優生手術(不妊手術)や人工妊娠中絶を認め、一部には本人の同意を必要としない強制不妊手術の規定も含まれていた。その後、人権侵害であるとの批判が高まり、1996年に優生条項が削除されて母体保護法へ改正された。
(参考:e-Gov法令検索「母体保護法(旧優生保護法)」、https://laws.e-gov.go.jp/law/323AC0100000156 )
(参考:公益財団法人人権教育啓発推進センター『国際人権と優生思想』、https://www.hurights.or.jp/archives/newsletter/section4/2023/03/post-201953.html )

エンゼルプラン:
1994年に文部・厚生・労働・建設の4大臣合意によって策定された、日本初の総合的な少子化対策・子育て支援計画である。正式名称は「今後の子育て支援のための施策の基本的方向について」であり、仕事と子育ての両立支援、保育サービスの充実、母子保健医療体制の整備などを柱とした。1990年の「1.57ショック」を契機として策定され、保育所の増設や延長保育の拡充などを通じて、子どもを産み育てやすい環境づくりを目指した。1999年には後継施策として「新エンゼルプラン」が策定された。
(参考:内閣府「(4)少子化対策」、https://www5.cao.go.jp/keizai-shimon/kaigi/special/future/sentaku/s2_4.html
(参考:日本女性学習財団「エンゼルプラン/新エンゼルプラン/子ども・子育て応援プラン」、https://www.jawe2011.jp/keyword/4238 )

干支と暦:
干支(えと)とは、十干(甲・乙・丙・丁・戊・己・庚・辛・壬・癸)と十二支(子・丑・寅・卯・辰・巳・午・未・申・酉・戌・亥)を組み合わせた60通りの暦法である。古代中国で成立し、日本にも伝来した。年・月・日・時刻を表すために用いられ、60年で一巡することから還暦の由来ともなっている。日本の伝統的な暦では、太陰太陽暦とともに干支が年月日の表示や方位・時刻の区分に利用され、現在でも年賀状や暦、占術などに広く用いられている。
(参考:国立国会図書館「干支①六十干支(ろくじっかんし)」、https://www.ndl.go.jp/koyomi/chapter3/s1.html )
(参考:国立国会図書館「暦の渡来と普及」、https://www.ndl.go.jp/koyomi/chapter1/s1.html )

縁起:
本来は仏教における「因縁生起(いんねんしょうき)」の略であり、すべての物事は単独で存在するのではなく、さまざまな原因(因)と条件(縁)が関わり合って生じるという考え方を指す。これを縁起説という。転じて日本では、物事の吉凶や運勢に関わる前兆・しるし、また幸福や繁栄を招くとされる事柄を意味するようになり、「縁起が良い」「縁起物」などの表現が広く用いられている。熊手や招き猫、だるまなどは代表的な縁起物として知られる。
(参考:ブリタニカ国際大百科事典「縁起」、https://kotobank.jp/word/%E7%B8%81%E8%B5%B7-447546 )

厄年・大安仏滅:
厄年とは、人生の節目に当たり災難や病気に遭いやすいとされる年齢のことで、古くから神社や寺院で厄払いが行われてきた。一般に男性は25歳・42歳・61歳、女性は19歳・33歳・37歳が厄年とされ、特に42歳(男性)と33歳(女性)は大厄とされる。一方、大安や仏滅は暦注の一つである六曜に属する。大安は「大いに安し」の意味で吉日とされ、結婚式や開業などに好まれる。仏滅は「仏も滅するほどの凶日」と解釈されることが多いが、いずれも民間信仰に基づく慣習であり、科学的根拠や宗教上の必然性を持つものではない。
(参考:神社本庁「厄祓い(男性・女性の厄年、本厄等)」、https://www.jinjahoncho.or.jp/omairi/yakubarai/

家を継ぐ:
親から子へと家名や家業、財産、祭祀(祖先の供養や墓の管理)などを受け継ぐことを意味する。日本では近代以前、家制度のもとで長男が家督を相続する慣行が一般的であったが、1947年施行の日本国憲法および民法改正によって家制度は廃止され、相続は法定相続人による平等な権利となった。しかし現在でも、農家や老舗企業、地域社会などでは、家業や墓の継承を含めて「家を継ぐ」という考え方や慣習が残っている。
(参考:e-Gov法令検索「民法(相続)」、https://laws.e-gov.go.jp/law/129AC0000000089 )

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