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チョクビと神の手
美容医療の現場には、いじめられてきた患者さんがいらっしゃいます。写真に写ることが怖くて、集合写真の端に立つことさえ避けてきた方もいます。就職活動で何度も落ち、その理由を自分の顔立ちに求めてしまう人もいます。診察室には、そうした「言葉になりにくい痛み」を抱えた人が順番を待っています。
一方で、高度外科の現場には、別の種類の緊張が流れています。救命率という数値の重圧、手術室の外で祈るご家族の存在、そして一瞬の判断が患者さんの生死を分ける場面。どちらの現場にも、非常に沢山の情報の中から一定の結論判断を出さないといけません(図2)理論よりも先に「人」がいます。数値や概念では置き換えられない、具体的な人生がそこにあります。この当たり前の事実を、今回の出発点として大切にしたいと思います。
医師はイデオロギーで動いているわけではありません。いわゆるチョクビ(直美 大学医学部を卒業し、医師免許証を取得した後の2年間の初期臨床研修を修了した後、一般的なキャリアパスである大学病院や総合病院での後期研修を経ずに、直接美容医療分野に進むキャリア)を選ぶ医師が、市場に魂を売ったかのように語られることがありますが、実際にはそう単純ではありません(図1)。同様に、医師の道を選ぶ方は、純粋な使命感をもたれています。しかし、どの医師にも、家族がいて、生活があり、日々の疲労があり、そして自分自身の身体もまた有限です。医師もまた、社会のなかで制度に支えられながら、同時にその制度の制約のなかで選択を行っている存在です。
視座があやふやだと議論はすぐに「どちらが高尚か」といった単純な道徳的な比較に傾いてしまいます。しかしここで問われているのは、個人の徳ではなく、むしろ選択を方向づけている構造のほうではないでしょうか。
ルッキズム批判についても、同じような難しさがあります。外見によって人が不利になる社会を批判することは、とても重要で正当なことです。しかし、その社会のなかで外見を整えることを選ぶ人を責めることができるかというと、それは簡単ではありません。むしろ、その人にとっては合理的な選択である場合も少なくありません。同様に、ヒロイズムを称賛する社会への批判もありますが、誇りを持って働き、支援する様々な人を売名行為などと言って冷笑することも、また適切ではないように感じられます。
ここで見えてくるのは、「構造」を語ろうとするときの難しさです。構造を説明しようとすればするほど、当事者を象徴的な存在として扱ってしまい、結果として個々の人間の具体性を削いでしまう危険があります。美容医師も外科医も、それぞれの現場で、誰かの人生の一部を確かに背負っています。その重みを見失わないことが、議論の前提として必要だと思います。
両者に共通するものは何でしょうか。ルッキズムもヒロイズムも、いずれも「評価の仕組み」として捉えることができます。ルッキズムは「美しさ」という指標によって人を評価し、ヒロイズムは「崇高さ」や「困難の克服」といった指標によって人を評価しています。
美容医療は、その意味で身体に関わる資本を再設計する営みとも言えますし、高度外科は、社会的に語られる価値、いわば象徴的な資本を生み出す営みとも言えます。いずれの場合も、身体を通じて人の社会的な位置や可能性が変化するという点で、共通の構造が見えてきました。
「神の手」と呼ばれる外科医(図3)もまた、完全に特別な存在というわけではありません。その方々は確かに高度な技術を持っていますが、同時に手術件数や治療成績、研究実績など、さまざまな指標によって常に測られています。ヒロイズムは個人の内面から自然に立ち上がるものというよりも、社会がそのような物語を必要とすることで成立している側面があります。もし制度が整い、個々の医師の突出した能力に依存しなくてもよい状態になれば、「神の手」という言葉自体があまり必要とされなくなるのかもしれません。それは、外見を整えなくても排除されない社会において、美容医療の需要が今ほど切迫したものでなくなるであろうことと、ちょうど対をなしています。どちらの場合も、英雄も整形も、社会の不足を個人が埋めているという構図が、静かに浮かび上がってきます。
同様に、美容医療の広がりについても、医師個人の志向だけで説明することはできません。私たちの社会は、履歴書の写真やSNSのプロフィール、広告や婚活といったさまざまな場面で、外見を通じて人を評価しています。もし外見が社会的な配分にほとんど影響しないのであれば、美容医療の需要はここまで大きくならなかったでしょう。つまり、美容医療はルッキズムを生み出しているというよりも、むしろその結果として現れている側面が強いと言えます。そして「神の手」もまた、ヒロイズムという評価構造の結果として生まれている存在です。どちらも、社会のあり方を映し出すようなものです。
こうした前提に立つと、社会包摂の課題はより具体的に見えてきます。目指すべきは、整形しなければ生きづらい社会ではなく、整形をしなくても排除されない社会です。同時に、特定の個人の卓越した能力に依存しなければ機能しない制度ではなく、英雄的な努力がなくても持続可能な仕組みを持つ社会でもあります。
ただし、ここで単純な理想論に陥ることも避けなければなりません。人は美しいものに惹かれますし、困難を乗り越える物語に心を動かされます。評価そのものをなくすことは、おそらく現実的ではありません。したがって重要なのは、評価を否定することではなく、その評価が過度に人を排除する方向へと働かないように調整することではないでしょうか。
目指すべきは、整形しなければ生きづらい社会ではなく整形をしなくても排除されない社会であり、特定の個人の卓越に依存しなくとも持続する仕組みを持つ社会です。だからこそ問うべきは、「誰がどのように評価を設計しているのか」、そして「その評価の仕組みは、誰を静かに取り残しているのか」という点ではないでしょうか。評価を設計しているのは特定の誰か一人ではなく、診療報酬を定める制度の設計者、メディアで物語を選び取る編集者、採用基準を決める企業、そして日々の選択を通じてその仕組みを支える私たち一人ひとりが、それぞれの位置からこの流れに関与しています。美しさと崇高さという二つの価値の緊張のなかで、他者の人生に関わり続けること。その重さを過度に神聖視することなく、また軽視することもなく、丁寧に扱うこと。そのような姿勢のなかに、社会包摂に向けた知性が宿っているように思います。
【デザイン・リーガル・ディクショナリー】
混合診療:
公的医療保険が適用される保険診療と、保険適用外の自由診療を同一の診療過程で併用する医療行為を指す。日本では原則として混合診療は禁止されており、保険診療と自由診療を併用した場合、その診療全体が自己負担となる。ただし、先進医療や患者申出療養、評価療養など一定の条件を満たす場合には、保険診療部分は保険適用とし、保険外部分のみを患者が負担する「保険外併用療養費制度」が認められている。これは医療の公平性を維持しつつ、新しい医療技術の活用を図るための仕組みである。
(参考:厚生労働省「保険外併用療養費制度について」、https://www.mhlw.go.jp/stf/seisakunitsuite/bunya/kenkou_iryou/iryouhoken/sensiniryo/index_00007.html )
(参考:厚生労働省「患者申出療養制度」、https://www.mhlw.go.jp/moushideryouyou/ )
医療事故調査制度:
医療の安全確保と再発防止を目的として、2015年に施行された制度である。医療機関において、管理者が予期しなかった死亡または死産が発生し、その原因を明らかにする必要があると判断した場合、医療事故として第三者機関である 日本医療安全調査機構 に報告し、院内調査を実施することが義務付けられている。制度の目的は責任追及ではなく、事故原因の分析と再発防止策の共有を通じて医療安全の向上を図ることにある。
(参考:厚生労働省「医療事故調査制度について」、https://www.mhlw.go.jp/stf/seisakunitsuite/bunya/0000061201.html )
ルッキズム:
ルッキズム(Lookism)とは、容姿や外見によって人を評価し、優遇や差別を行う考え方や社会的傾向を指す。1970年代にアメリカで提唱された概念であり、性別、人種、年齢などによる差別と同様に、外見を理由とした不当な扱いを問題視するものである。就職、恋愛、教育、メディア表象などさまざまな場面で見られ、近年はSNSの普及によって外見への評価や比較が強まったことから、精神的負担や自己肯定感の低下との関連も指摘されている。一方で、容姿への関心そのものと差別的な評価・扱いを区別して考える必要があるとされる。
(参考:コトバンク「ルッキズム」、https://kotobank.jp/word/るつきずむ-1831014 )
「女らしさ」「男らしさ」:
社会や文化の中で女性・男性に期待される性格、行動、役割、価値観などを指す概念である。例えば、「女性は優しく家庭的であるべき」「男性は強く積極的であるべき」といった考え方がその典型である。これらは生物学的な性差によって一律に決まるものではなく、時代や地域、文化によって大きく変化する社会的・文化的な規範と考えられている。近年は、多様な生き方や個人の選択を尊重する観点から、固定的な性別役割分担意識の見直しが進められている。
(参考:男女共同参画局「令和4年度 性別による無意識の思い込み(アンコンシャス・バイアス)に関する調査研究」、https://www.gender.go.jp/research/kenkyu/seibetsu_r04.html )
嫁入り前:
本来、結婚前の女性を指す言葉であり、特に近代以前から戦後にかけての日本社会で用いられてきた表現である。そこには「女性はいずれ結婚して夫の家に入るもの」という家制度や性別役割分担を前提とした価値観が含まれていた。そのため、「嫁入り前の娘だから身だしなみに気を付けるべきだ」などの言い回しで使われることが多かった。今日では、結婚観や家族観の多様化、男女平等意識の広がりにより、やや古い表現、あるいはジェンダー規範を反映した表現として捉えられることが多い。
(参考:コトバンク「嫁入り前」、https://kotobank.jp/word/嫁入り前-655017 )
身体髪膚:
身体髪膚(しんたいはっぷ)とは、儒教の経典である『孝経』に見られる言葉で、「身体髪膚、これを父母に受く、あえて毀傷せざるは孝の始めなり」という一節に由来する。人の身体や髪、皮膚は父母から授かったものであり、これを傷つけたり粗末に扱ったりしないことが孝行の第一歩であるという意味である。東アジアの儒教文化圏では、身体を大切にする倫理観の根拠となり、かつては断髪や入れ墨を忌避する考え方にも影響を与えた。日本でも近世まで武士や庶民の道徳観に一定の影響を及ぼした。
(参考:コトバンク「身体髪膚」、https://kotobank.jp/word/身体髪膚-538321 )
整形警察:
他人の容姿や美容整形の有無について過度に詮索したり、整形をした人を批判・揶揄したり、「整形しているはずだ」と決めつけて指摘したりする人々を指す俗語である。主にSNS上で使われる言葉であり、芸能人やインフルエンサーなどに対して、顔立ちの変化を根拠に整形疑惑を追及する行為を批判的に表現する際に用いられる。近年はルッキズムや外見至上主義との関連で議論されることが多く、個人の身体的特徴や美容上の選択を過度に監視・評価する風潮への問題提起として使われている。
医療広告ガイドライン:
医療広告は医療法で厳しく規制されており、2018年6月施行の改正で、それまで対象外だったウェブサイトも規制対象となりました。加工した術前術後(ビフォーアフター)写真や最上級表現は誇大・虚偽広告として禁止されています。
(参考:厚生労働省「医療広告規制におけるウェブサイト等の事例解説書」、https://www.mhlw.go.jp/content/001439423.pdf )
特定継続的役務提供(美容医療のクーリング・オフ):
2017年12月施行の改正特定商取引法により、脱毛やしみ除去など一定の美容医療(期間1か月超・5万円超)でクーリング・オフや中途解約が可能になりました。高額契約の強引な勧誘トラブルを背景に、医療を消費者契約として守る仕組みです。
(参考:国民生活センター「美容医療でクーリング・オフが可能なケースも!」、https://www.kokusen.go.jp/news/data/n-20171207_1.html )