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「進歩」から「いのち」へ、そして包摂へ──万博に見る文明のカタチ

2026.5.28

現在、大阪・夢洲で大阪・関西万博が開催されています。私は子どもの頃の記憶がまったくないのですが、当時も家族で訪れていたようです(図1、2)。今回は仕事の関係でテストランにお邪魔する機会がありました(図3)。ここでは万博の歴史を手がかりに、社会包摂デザインの変遷を見ていきたいと思います。

(図−1)

(図−2)

(図−3)


国際博覧会条約によれば、博覧会とは「名称のいかんを問わず、公衆の教育を主たる目的とする催しであり、文明の必要とするものに応ずるために人類が利用しうる手段、または人類の活動の一若しくは二以上の部門において達成された進歩、もしくはそれらの部門における将来の展望を示すもの」と定義されています。

1851年、ロンドン・ハイドパークに出現した巨大な鉄とガラスの建築「クリスタル・パレス」は、まるで文明そのものが結晶化したかのような象徴でした。そこに並べられたのは蒸気機関や織機、精密機器など、「人類の進歩の証」とされる展示物たちでした。また、世界各地から「異国的な品々」も多数展示されたと記録されています。


ここで言う「異国的」とは、当時のイギリスが支配・交易していたアジア、アフリカ、中東、南米などの、イギリスにとって「未開」とされた植民地や非欧州圏のことであり、そこの文化や自然資源、工芸品や生活道具が展示され、西洋社会に紹介されました。日本もその一つでした。


この世界初の万国博覧会には、現在のような公式テーマは存在していませんでしたが、その全体が語っていたことは明確です──「人間(欧米)は自然を克服し、技術によって未来を手にした」。ここには排他的な構図が存在していました。展示の主体はイギリスやヨーロッパであり、万博は強者の価値観を世界に向けて誇示する場でもあったのです。


19世紀から20世紀初頭にかけての万博は、さらなる進歩の祭典であり、近代国家の威信を演出する舞台でもありました。鉄鋼や電気、機械工学、交通網といった技術は確かに画期的で、「強く、大きく、すぐそこにある未来」が語られていました。しかし、その未来を象徴する製品の多くは、植民地で生産されたものでした。当時の開催国にとって、それは「搾取」とは認識されていなかったでしょう。


アフリカやアジアの労働者、先住民、女性たちによって生産された品々は、新しく珍しいものとして展示されましたが、そこに製作者の名前はなく、「誰が語り、誰が語られないか」という線引きが明確に存在していたと考えられます。


これは、万博というよりむしろ当時の社会における「強者と弱者」の構造の原型です。強者は語る権利と主権を持ち、弱者は背景、部分、その他の存在としてしか扱われなかったのです。


1970年の大阪万博のテーマは「人類の進歩と調和」でした。この言葉には、近代の到達点としてのユートピアへの期待が込められていたと思います。戦後復興を遂げ、高度経済成長を駆け抜けた日本にとって、「進歩」は価値そのものであり、未来でした(表1)。

万博(一部抜粋)テーマ
1967年モントリオール(カナダ)人間とその世界
1970年大阪(日本)人類の進歩と調和
1984年ニューオーリンズ(アメリカ)河川の世界:淡水の時代
1985年つくば(日本)人間・居住・環境と科学技術
1992年セビリア(スペイン)発見の時代
1993年テジョン(韓国)開かれた世界と開かれた発展
1999年昆明(中国)人間と自然の調和
2000年ハノーバー(ドイツ)人類・自然・技術
2005年愛知(日本)自然の叡智
2010年上海(中国)より良い都市、より良い生活
2011年西安(中国)天人合一・自然の中での生活
2012年麗水(韓国)生きている海と息づく沿岸
2015年ミラノ(イタリア)地球に食糧を、いのちにエネルギーを
2017年アスタナ(カザフスタン)未来のエネルギー
2020年ドバイ(UAE)心をつなぎ、未来を創る
2025年大阪・関西(日本)いのち輝く未来社会のデザイン
2027年アルメレ(オランダ)Growing Green Cities
2030年リヤド(サウジアラビア)人類の繁栄をともに
表−1


しかし一方で、工業化がもたらした公害、地方の過疎化、都市部の過密化といった問題もすでに顕在化しており、ベトナム戦争もまだ終わっていませんでした。「調和」の必要性を、社会は突きつけられていたのかもしれません。


ただし、今でいうマイノリティの存在は、あまり意識されていませんでした。つまり、ここで語られていた「人類」とは、ある特定の市民像──中産階級の健常な中年男性──を指していたのだと思います。「調和」という言葉の裏側には、強者が提示する理想に周囲が「自らを整える」ことを求める構造が潜んでいたのかもしれません。


2005年の愛知万博のテーマ「自然の叡智」は、こうした構造に揺さぶりをかける新たな語り口でした。自然はもはや征服すべき対象ではなく、どうしようもなくなった社会をなんとかしてくれる「叡智」を持つ存在として再定義されたようにも感じられます。このテーマの転換は、包摂の枠を「人間」から「非人間的存在=自然」へと広げる契機となりました。


またこの万博では、障害のある人々の移動支援としてパーソナルモビリティが導入されたり、多言語対応や子ども向けワークショップが展開されたりと、制度的な「インクルーシブ・デザイン」の萌芽も見られました。


しかし一方で、この「叡智」は誰のものだったのか。たとえばアフリカの先住民族の文化が「自然の知恵」として展示された場面でも、その権利や文脈が十分に尊重されていたとは言い難かったのではないでしょうか。包摂の実践が始まっていたとはいえ、主従の構造はなお残されていたのです。「自然」に対しても、「誰が語り、誰が語られるか」という構造が温存されていたのだと思います。


当時、包摂や多様性の概念がもう少し広がっていれば、現在の世界はもう少し変わっていたかもしれませんが、今となっては仕方がありません。


そして2025年。再び大阪で開催されている万博のテーマは、「いのち輝く未来社会のデザイン」です。この言葉のラディカルさは、「いのち」が主語になっている点にあります。


「いのち」とは人間に限定されません。動物、植物、微生物、AIやロボット、さらには記憶や風景すら含む、包摂的かつ非ヒエラルキー的な概念です。「いのち」という主語のもとには、既存の強者/弱者の枠組みを超えた、新しい価値軸が潜んでいると期待しています。


このテーマは、未来社会の設計が「いのち」を中心に行われるべきだという姿勢を示しています。経済性でも利便性でもなく、「誰かのいのちが輝くかどうか」が判断基準となるべきであり、そのときにデザインとは「誰かを社会から排除しないための実践」として立ち現れるはずです。


もちろん、言葉だけで語るほど簡単なことではありません。しかし、「輝く」という表現には、生命そのものの尊厳や喜びへの肯定が含まれています。排除されてきた人々が、ただ「許される」のではなく、「肯定され、中心に置かれる」こと——それこそが真の社会包摂であり、「輝き」なのではないでしょうか。


こうして振り返ってみると、万博のテーマとは、その時代が「誰を未来に参加させ、誰を黙らせたか」を映し出す装置であったとも言えます。


19世紀:語るのは帝国主義とと資本、語られるのは労働と自然
20世紀初頭:技術と秩序を信じる人々の未来像
1970年:進歩を信じるが、その周縁でみのがされていた排除
2005年:自然と他者へのリスペクトの兆し
2025年:すべての「いのち」を主語とする未来の思考の場


万博とは、理想の競演であると同時に、「誰がその未来を描くのか」という問いをめぐる場所でもあるのです。今、私たちは改めて問わなければなりません──「次の万博で、誰が主語となるのか?」「誰が、その社会にまだ含まれていないのか?」

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