Chronology

1874
明治7年

恤救規則

874年(明治7)に制定された恤救規則は、その前文で救済は本来人民相互の情誼(じょうぎ)によって行うべきものであるとされ、それが適わない、労働能力を欠き且つ無告の窮民であることを条件として国家が救済を行うことを規定したものである。近代国家の救貧であるが、自治体の義務救助主義にもとづくイギリスの救貧法などとは全く異なる性格をもつ。とくに、前近代以来の支配者による慈恵的救済を継承し、極めて制限主義的な内容である点が最大の特徴である。対象者は70歳以上の廃疾者・老衰者・長病者、13歳以下の孤児など、鰥寡(かんか)孤独の窮民で、支給は高齢者には年間1石8斗分、病者には男1日米3合分、女2合分、子どもには年間7斗分の下米(げまい)換算の現金給付である。また国費救済が基本となる官治主義をとった。この規則は1929年(昭和4)制定の救護法まで50年以上も継続し、結果として公的救済を特別視する傾向をもたらすとともに、その権利化への可能性を抑制することとなった。

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