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11 ちょっと何言ってるのか分からないんですけど。翻訳や通訳の難しさ

2022.12.13

明治にできた日本語

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これらは、どんな言葉だと思いますか。これらは全て、明治にできた日本語です。江戸時代の鎖国が終わり、海外の文化や言語が一気に入ってきました。それらを全部、日本語に翻訳しなければなりませんでした。もちろん、名前や名詞などの翻訳はそれほど難しくありません。
例えば、目の前に「椅子」があり、外国人がそれを「chair」と言えば、それで翻訳は確認できます。(ミシン(Sewing Machine/ソーイングマシン)のような間違いもありますが。)

概念の翻訳
困ったのは「概念」です。目の前にモノはありません。また、同じ概念が日本にあればまだ良かったのですが、概念そのものがない場合は大変困ったことになります。概念の翻訳の方法は以下のパターンがあったようです。

  • 新造語:日本語に西洋語の概念が存在しないので、日本人が新しく造語したもの。
  • 借用語:日本語に西洋語の概念が存在しないので、中国で活躍した欧米人宣教師が 中国語訳した訳語を、漢訳洋書や英漢辞典から借用したもの。 
  • 転用語:日本語に西洋語の概念が存在しないので、日本語に存在する類義語に新しい意味を付加して転用したもの。

    (参考:『明治生まれの日本語』飛田 良文、淡交社、2002)
飛田良文(2002)『明治生まれの日本語』淡交社(2019年、角川ソフィア文庫)

それぞれを翻訳し、訳語を当てる作業は西周、森鷗外、夏目漱石 、福澤諭吉 、福地桜痴 、中江兆民、井上哲次郎などが行ったようです。概念そのものを理解することと、それを利用可能なように言葉に置き換え、単語をデザイン・設計していくことが、未知の文化とのファーストコンタクトだったのかもしれません。
明治期の人々は、大量の言葉と概念が一気に入ってくることに対して、大変だと感じるだけでなく、とてつもない高揚感を覚えたのではないでしょうか。経験のない考え方や考えもしなかった物事への捉え方が手に入ることは、難解さも当然あったかもしれませんが、短期間に大量の概念が流入してくることなどは世界史的に見てもそんなに多くはないと思います。その昂揚した感覚が明治期の知的原動力だったのかもしれません。

翻訳できない世界のことば

エラ・フランシス・サンダース(2016)『翻訳できない世界のことば』前田あゆみ訳、創元社

『翻訳できない世界のことば』(エラ・フランシス・サンダース、前田 まゆみ (翻訳)、創元社、2016)があります。訳者あとがきを引用させてもらいます。


「「翻訳できない世界のことば」というタイトルから、読者のみなさんは、最初どんな本を想像されたでしょうか? 原書のタイトルは「LOST IN TRANSLATION」、「翻訳できない」は、厳密にいうと「りんご=apple」のように1語対1語で英語に翻訳できない、という意味です。その中には、日本語の「ボケっと」「積ん読」「木漏れ日」「わびさび」もふくまれていました。日本人にとっては当たり前の言葉ですが、著者のみずみずしい感性によって、それらの言葉の内包する意味の広がりやドラマ性に焦点が当てられています。日本語以外の言語の言葉についても、新鮮なおどろきによって、一つ一つがすくい上げられていることは、想像に難くありません。それぞれの言葉がまるで映画のワンシーンのように投げかけてきてくれる物語の切れ端を、読者のみなさんと共有できれば、本望です。」


本文にはこんなことばが並んでいます。

  • FORELSKET フォレルスケット/ノルウェー語 語れないほど幸福な恋におちている。
  • COMMUOVERE コンムオーベレ/イタリア語 涙ぐむような物語にふれたとき、感動して胸が熱くなる。
  • JAYUS ジャユス/インドネシア語 逆に笑うしかないくらい、じつは笑えないひどいジョーク。
  • IKUTSUARPOK イクトゥアルポク/イヌイット語 だれか来ているのではないかと期待して、何度も何度も外に出て見てみること。
  • PORONKUSEMA ポロンクセマ/フィンランド語 トナカイが休憩なしで、疲れず移動できる距離。
  • PISAN ZAPRA ピサンザプラ/マレー語 バナナを食べるときの所要時間。
  • GURUFA グルファ/アラビア語 片方の手のひらに乗せられるだけの水の量。

日本語ではわざわざ単語にはしていないけれど、気持ちやシチュエーションはわかる。そんなことばたちではないでしょうか。ある地域では言葉をしっかり作っているけれど、ある地域ではその必要性は少なかった。でも共有することは出来る。それが文化差なのかもしれません。また差でありながら、差とわかりながら、理解し合うことは、異文化理解の楽しさかもしれません。

見えないスポーツ

さらにもう一冊、『見えないスポーツ図鑑』(伊藤 亜紗 、渡邊 淳司、林 阿希子、晶文社、2020)という書籍があります。

伊藤亜紗・渡邊淳司・林阿希子(2020)『見えないスポーツ図鑑』晶文社

この本の研究は「視覚障害者の方々にスポーツの臨場感をどう伝えるか、から始まった研究」と解説されています。スポーツを目の見えない方に伝えるために、物理的な感覚を翻訳するということは、とても難しいことかと思います。
その書籍の中から興味深い言葉をご紹介します。

  • ラグビー:争奪戦と展開戦、バランスと圧力の翻訳。2つの視点の発見。
  • アーチェリー:時間制限と言うプレッシャー。瞬間の1ミリの感覚と快感。臨場感。リアリティ。
  • 体操:非日常的な脅威とシンプルな姿勢。回転・伸身・真上・真下の感覚。
  • 卓球:聴覚と触覚の情報。打ち方・テンポ・白熱感。巻き込まれる感覚。
  • テニス:立体的に打つ。リズムを刻む。打ち合う感覚。
  • セイリング:傾きを御す。不安定さ。同時に操る。瞬間的な仕掛け。応酬。山を張る。

などを抽出し翻訳しようとし、また目の見えない方に翻訳しようとしたからこそ、本質を見出すことができたような気がします。また言語や感覚はスポーツ同様やり取り、コミュニケーションなので、同時並行の動きやその感覚を伝え合うことが重要で、実際そのような多くの要素に頼り行われてるものだとわかりました。言葉にできなくともこのような微妙な身体感覚を理解し合うことができ、それを利用し、翻訳し合っているということも大変興味深く感じます。

もう一度翻訳

ある翻訳の会社は翻訳の3要素を「原文読解力、次に訳文構成力、そして専門知識」と言っています。例えば、ある技術について書かれた英語を翻訳するならば、
 ①文法やボキャブラリーなど英語の力
 ②英文を日本語で表現する文章作成能力
 ③技術についての日英の専門知識 
が必要と言っています。果たしてそれだけでしょうか。

異文化、特に外国人労働者の調査を行っている九州大学大学院芸術工学府の山田和佳さんは、翻訳のことを「文字情報の伝達、文化的背景の理解、信頼関係」と言っています。つまり、技術的・知識的な言語的な知識・スキル、その言葉の歴史背景や社会生活、また、わかり合おうとする関係が重要だということです。

排他的・分断的なことを目にすることも多い時代ですが、翻訳は結果を示すためのものだけではなく、やり取りするプロセスが重要で、そのこと自体がわかり合うためのプロセスなのかもしれません。

最後に、通訳者で『プロが教える英語の勉強法―英語力を身につけよう』の第5章を書かれている橋本美穂さんの言葉を紹介して終わります。
「通訳というコミュニケーション促進法は、何もプロに限られた「仕事」ではありません。また、外国語をネイティブのように話さなければならない、という決まりがあるわけでもありません。異文化を理解したいという心や、外国語を話したいという興味関心さえあれば、通訳は、お互いの理解を深めるための、ひとつのコミュニケーションのツールになります。」(兵庫県立神戸高校同窓会インタビューより)


リーガル・デザイン・ディクショナリー

やさしい日本語
日本で暮らす子どもや外国人向けに、誰でも理解できるような簡易な表現や文構造、ふりがななどを用いる日本語。例えば、外国人住民の増えている糸島市では、硬く形式ばっていて読みにくい「お役所言葉」を改めるために「『やさしい日本語』の手引き」を作成しているそうです。
(朝日新聞デジタル、「役所言葉をやさしい日本語に 糸島市が職員向け手引き作成」
https://www.asahi.com/articles/ASQ2S72H7Q2PTIPE01K.html

同化政策
植民地主義が広がりを見せた時代には、北海道旧土人保護法(1899年制定、1999年廃止)など、多様なエスニシティを持つ人々を自国民として「同化」するための政策が推進され、沖縄県では琉球語を用いた児童生徒に罰として掛ける「方言札」が戦後も使用されていました。

地域における多文化共生推進プラン
総務省が2006年に発表し、2020年に改訂された多文化共生社会に向けた計画で、「地域における情報の多言語化」などが地域の目標として掲げられています。
(総務省「地域の国際化の推進|多文化共生の推進」、
https://www.soumu.go.jp/menu_seisaku/chiho/02gyosei05_03000060.html

ローカルルール
国の法律とは異なる、文化的、自主的に形作られたルールを一般的に「ローカルルール」と呼ぶことがあります。それは非効率な伝統にもなりえますが、コミュニティ意識を形作る上で役立つこともあるかもしれません。

想像の共同体
「私たちは国民だ」という意識は、メディア=活版印刷術を通じて俗語=国語が一般に流通したことで形作られてきたと考えられます(ベネディクト・アンダーソン『想像の共同体』白石隆・白石さや訳、リブロポート)。当たり前のものと思っている自国語や自国文化は、実はそれほど本質的なものではないのかもしれません。

言語境界線
現在の日本は日本語だけを公用語と定めていますが、例えば、多言語国家であるベルギーは、フランス語、フラマン語(オランダ語)、ドイツ語の3つの公用語があり、国の真ん中に言語コミュニティの境界線があるために、フラマン語系住民とフランス語系住民が長年対立していたことで有名です。

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