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DIDI.Newsletter(2022年4月公開)

2022.4.26

今号はシビックデザインラボより〈音響工学の手法を用いた軽度聴覚障害者サポートの仕組みづくり〉のプロジェクトを紹介します。担当教員である村上泰樹先生に話を伺いました。

Project:音響工学の手法を用いた軽度聴覚障害者サポートの仕組みづくり【シビックデザインラボ】

静かな環境の中だと問題なく聞き取れるけれども、ガヤガヤした場所だと会話が聞き取りづらくて、「え? なに?」と、何回も聞き返してしまう。そんな経験はないでしょうか? 
世界保健機構(WHO)によると、世界人口の10%から20%が軽度難聴者であると報告されています。軽度難聴者には、聴覚系の障害であるため医学的あるいは社会的な処方が必要ですが、実際はパーソナリティ(個人の特性)に原因があると周囲から勘違いをされ、適切な処方を受けることができないケースがよく見られます。本プロジェクトでは、聴覚系を支配する規則性を発見し、聴覚障害の「可視化」を行うことを通して、社会的な排除の対象になりやすい軽度難聴者が包摂される社会の仕組みづくりに貢献します。 

■遅れる対応〜軽度の聴覚障害者〜

村上先生は「現在の日本の医療・福祉体制では、重度聴覚障害者へのサポートがある程度進んでいる一方で、軽度障害者や、『障害者』と認定を受けるかどうかのボーダーライン上、いわゆる『グレーゾーン』の人たちへの対応が遅れています。」と話します。 

村上泰樹先生

― 私たちが思っている以上に、軽度難聴障害の人は多いんですね。驚きました。
村上:音響学に限らず、医学の分野でも、軽度の聴覚障害については近年とても着目されています。重度障害の人は氷山の一角みたいなもので、軽度障害や「障害者」と認定されるかどうかのボーダーライン上、いわゆる「グレーゾーン」と言われる人たちが、実はたくさんいるんですね。そして、色々調べてみると、その人たちが社会的に排除されやすいことも分かってきました。

― たしかに、聴覚障害は見た目では分かりにくいですし、周囲から「障害」と認識されていなければ「なんだあの人、私が話しかけても無視する」などと誤解されてしまうケースが多そうですね。
村上:そうなんです。そこで、音響学分野の我々が何かできることはないだろうかと考え、どう支援していけばいいのかを研究しています。

■実験を進める中で得た「何かおかしい」という感覚

― 2021年度は、高齢者の方々も参加いただいて実験を行われたと聞きました。
村上:近隣のシルバー人材センターの高齢者の方々に実験に参加していただきました。簡単なインタビューでも「人の声が聞こえるのは聞こえるんだけども、なんか聞こえづらいような気がする」とか「車の音とかが聞こえなかったりするから、外を歩くのがちょっと怖い」などと仰っていて、身近な所にも、困ってらっしゃる方がいっぱいいるんだなと実感しました。

― 行われた実験は、どのような内容だったのでしょうか?
村上:音響工学では、単語の書き取り試験をよくやるんですよ。被験者に音声を聞いてもらい、例えば「おにぎり」と聞こえたら「おにぎり」、「こんにちは」と聞こえたら「こんにちは」と書く、というシンプルな試験です。 その際、雑音がある条件で試験を行うと、高齢者の方々の書き取りの正解率は悪くなったんですが、これは想定通りだったんです。ですが、雑音がない条件で同じ試験をしてみると、高齢者も若者も(聞き取りの)正解率のスコアにほとんど差がなかったんですよ。雑音がない状況ではスコアに差がないので、音響学的には「高齢者と若者の聞き取り能力は一緒」とカウントされてしまいます。でも、これって、感覚的に何かおかしいですよね。

     実験で使った書き取りシート

書き取りの了解度、正解の割合だけを見ると「高齢者も若者も聞き取り能力は一緒」という結果になるものの、実際には目の前の高齢者の方々が「聞こえづらくて困っている」と訴える現実があるのだと言います。データと現実とのギャップに、違和感を持たれた村上先生。そこからどう研究を進めたのでしょうか。 

■他分野の研究手法から取り入れた「時間」という新たな評価軸

村上:そこで、音響工学での評価基準に他分野の研究手法を取り入れてみたんです。 今回のプロジェクトでは人間福祉工学が専門の学術研究員と一緒に研究をしているんですが、人間福祉工学や運動生理学では、「作業時間」が重要視されるんですね。例えば、肢体に障害のある人をパワーアシストする機械を開発するとして、「ある物を持ち上げる」という動作をアシストする場合、所定の時間内に持ち上げられなければなりません。「持ち上げられるけど、ものすごく時間が掛かる」というレベルだと、実際の生活の中では「アシスト」の役目を果たすことが難しいからです。今まで音響工学では、この「時間」という概念をそれほど重要視していませんでした。今回、人間福祉工学の手法を取り入れて、「作業時間」に注目して実験してみようということで、書き取りに要する時間を計測してみました。 

― どのような分析結果になりましたか? 
村上:やっぱり予想通り、高齢者のほうが書き取りに時間がかかってくるんです。書き取る正解率は若者と差はないんだけれども、書き取りに時間がかかる。もっと顕著だったのが、書き取りにかかる時間の「ばらつき」です。若い人だと、毎回同じぐらいの時間でパッと書き取りができるんです。でも、高齢者だと結構時間にばらつきがあって、早く書けるときもあるけれども、やっぱり少し考え込んでしまうのか、理由は分からないですけど、遅くなることがしばしば見られます。 
そんなふうにして新たに分かったことは、単語を書き取る正解率のスコアだけで評価すると、やっぱり「言葉の聞き取りにくさ」は可視化できなくて、そこにかかった作業時間など、もう少し他の要素を入れていかないと、なかなか見えてこない、ということですね。

■「こだわらない」のが、こだわり。柔軟さが道をひらく

― 他分野の手法を応用するスタイルは、柔軟に感じました。 
村上:研究手法に関して、私はあまりこだわりはなくて、目的が達成できるのであれば、手法にはなるべくこだわらないというのが、こだわりです。 どうしても自分の培ってきたものがあるので、そこに囚われてこだわってしまいがちですし、そうした方がうまくいくケースは多いんです。特に私たちは研究業績をどんどん蓄積していく中で、「こうやったらうまくいく」っていう感覚がある程度は見えてきますから。でも、過去の成功した手法にばかりこだわっていると、小さくなってしまうな、と。それはかなり意識しながらやっています。やっぱり研究を大きく高くしていくためには、他の分野の手法をどんどん取り入れていったほうが良いと思っています。

■「そもそも何のためにやってるんだろう?」と常に問いかけながら

― 「時間」という評価軸を取り入れる事によって可視化が進みましたが、その次のステップはどのようなものですか? 
村上:「そもそも何のためにこの『可視化』をしてるんだろう」ということを考えると、確かに可視化しないと、どうサポートしていけばいいか分からないのはあるんですけれど、結局は、軽度障害を持っている人や、その「周りの人」が、その障害に対して何か腑に落ちてくれればそれで良いのかな、と最近は感じています。「理解する」よりももうちょっと深い、「腑に落ちる」というところまで行ければ、何かこう、もうちょっとサポートしやすいのかな、と。例えば、可視化したものが科学的には正しくても、腑に落ちたものでなければやっぱり意味がないというか。逆に言うと、それが科学的にはちょっと曖昧というか、ぼけていたとしても、周りの人が何らかの形で腑に落ちてくれればいいのかなと、この辺りの本(小川洋子著「物語の役割」)を読んで思っています。 

「聴覚以外の分野で『グレーゾーンの可視化』にどうアプローチされているのか、大いに関心があります」と語られた村上先生。他分野の研究手法をお互い応用し合うことで研究がどう広がりを見せるのか、今後のプロジェクトの展開に注目です。 

音響工学や軽度難聴障害に関連して、この分野に興味を持ってこれから もっと知識を深めたい、学びたいと思っている方へ、村上先生からおすすめいただいた本

『音響学入門』(コロナ社)
「聴覚,音声,騒音,建築音響,音楽,超音波,オーディオなどを縦糸とし,音響学の基礎となる物理,信号処理などを横糸とする二部構成とした。数学や物理学の知識は最小にとどめながらも,音響学を系統的に学べるように留意した。」(コロナ社ウェブサイトより)
「音響工学の本って世の中に結構あるんですが、これは音響学の基本が網羅されていて、初学者の方にもおすすめの1冊です。」(村上先生インタビューより)

『難聴者と中途失聴者の心理学〜聞こえにくさをかかえて生きる』難聴者の心理学的問題を考える会編(かもがわ出版)
「難聴者、聞こえの問題を持つ人たちに、どういう支援ができるのでしょうか?潜在的には1千万人とも言われる日本の難聴者。周囲にも自分でも気づきにくい「聞こえ」の問題とはどういうものか、日常生活での困難や葛藤はどういう問題を起こしているか、さらにはその理解と支援について、世界の基準にも照らしつつ解明する。」(かもがわ出版ウェブサイトより)
「聴覚障害を持っている人がどういう所に生きづらさを感じているのかとか、そういったところに対する事をすごくわかりやすく説明してくれています。」(村上先生インタビューより)

『分かり合えないことから』平田オリザ (講談社現代新書)
「日本経団連の調査によると、日本企業の人事担当者が新卒採用にあたってもっとも重視している能力は、「語学力」ではなく、「コミュニケーション能力」です。ところが、その「コミュニケーション能力」とは何を指すのか、満足に答えられる人はきわめて稀であるというのが、実態ではないでしょうか。わかりあう、察しあう社会が中途半端に崩れていきつつある今、「コミュニケーション能力」とは何なのか、その答えを探し求めます。」(講談社コミックプラスより)
 「本来、コミュニケーションというのはハードルの低いところからどんどん積み上げていくものがコミュニケーションなんだけれども、軽度障害の事などを調べていくとコミュニケーションに関して最初からとても難しいことを要求されている。そもそもコミュニケーションに関して求められるレベルがありすぎる事、何かそれも一つ問題なのかなっていうのを感じていて。最近また読み直してみようかなと思っています。」 (村上先生インタビューより)

『物語の役割』小川洋子 (ちくまプリマー新書)
「私たちは日々受け入れられない現実を、自分の心の形に合うように転換している。誰もが作り出し、必要としている物語を、言葉で表現していくことの喜びを伝える。」(筑摩書房ウェブサイトより)
「どうしようもない現実ってあるわけで、それを救ってくれるのは自分の作る・・・自分が作った物語を拠り所にして生きていくっていうのが一つこう、生き方としてあって、それは今回の「可視化」に結構近いところがあるな、と。物語を自分でうまく組み立てるとか、周囲がサポートしながら(物語を)作っていって、腑に落ちるところまで持っていければ、それはそれでいいんですけども、現実的にはそこまでできる人ってなかなかいない。われわれとしては、そういういわゆる文系的な方向ではなく、もう少し理系的な方法でやろうとしているだけであって、やろうとしてること自体は小川洋子さんが関心を持たれている事と似ているのかなと思ってたりしています。」 (村上先生インタビューより)


村上 泰樹(むらかみ やすき)
九州大学大学院芸術工学研究院 音響設計部門助教、博士(情報科学)
【学部担当】芸術工学部 音響設計学科 音響設計学、芸術工学科 音響設計コース


聴覚末梢系の機械的な振動を主として研究。研究手法は数値シミュレーションや非侵襲的な生理実験、心理実験を含む。これらの研究を通じて得られた知見を工学的に応用することを試みている。

▶︎2022年度DIDI年次報告書①コース融合プロジェクト
▶︎2022年度DIDI年次報告書②「補聴器や聴覚診断,
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(DIDI News Letterは、社会包摂デザイン・イニシアティブ(DIDI)内の研究活動を発信するニュースレターです。DIDIを構成するソーシャルアートラボ、シビックデザインラボ、デザインシンクタンクが取り組む各プロジェクトの研究や活動を、インタビュー/レポート記事にて届けていきます。) 

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