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DIDI.Newsletter(2022年11月公開)

2022.11.30

今号は、ソーシャルアートラボより尾本章先生にお話をうかがいました。尾本先生の研究をはじめ、社会包摂デザイン・イニシアティブ(DIDI)でのプロジェクトの内容や感想、教育面についてお聞きました。 

尾本先生の研究について 

現在、比較的小規模な閉空間音場の「計測・評価・制御」を中心として、幅広く応用音響工学の研究課題に取り組んでいる尾本先生。「まずは体験してみてください」とインタビューの前に実験室にて、音場(おんば)を再生するシステムのデモンストレーションをしてくれました。その24個のスピーカーを使ったシステムからは、ホールと同じ響きが生み出されました。 

写真2枚:学内の実験室にて。音場再生システムを操作する尾本先生

−尾本先生は30年にわたって様々な音響学の研究活動をされています。先ほどデモで見せていただいた最近の研究について、まずお話を聞かせてください。 

初期の頃は、音で音を消すというような騒音関係の研究が多かったですね。良い音にも携わりたいなと思っていたところ、2010年前後に、大きなプロジェクトに誘っていただきました。そのプロジェクトは音場の再生も課題にしていて、「音響樽(おんきょうだる)」といって96個のスピーカーに囲まれた樽の中で音を聴くというシステムを作ったりしました。コンサートホールの音はもちろん、交差点や駅構内のような日常の音も他所で再現してみると、すごく新鮮で面白かったです。このプロジェクトが終わってからも自分たちで何かできないかと、多くの数のスピーカーを使って音の場を簡易的に再生する研究を始めました。 

−デモのときに「音の響きを計算して音場を再現する」と説明されていましたが、計算とはどのようなものでしょう? 

「響きを織り込んでいく」と言うとイメージしやすいかもしれません。畳み込み演算で、響きのない音に掛けたり足したりをずっと続けて、響きを織り込んでいくという感じでやっています。計算は、コンピュータソフトを使って行います。新しさはない方法ですが、多くのスピーカーを使って一度に多チャンネルでやるというのはあまりなく、よく驚かれます。 

−例えばスピーカーが24個あれば、1つずつ計算をしていくのでしょうか。 

そうです。まず、24方向別にマイクを向け、その方向からやってくる響きだけを録り込みます。その響きを同じ方向に置いたスピーカーから再生するという単純なものですが、クオリティが良く、自分たちでもちゃんとした音になっていると感じています。 

向いた方向の響きだけを録り込む、音場再生システム用のマイク

−このような音場の再生は、実用化されているのでしょうか。 

明確にここで使いたいという要望はあったりなかったりですが、いろいろな応用があるとは思っています。企業からは、例えば車の中や作業場の音を再現したいという話をもらうこともあります。再生した音を聴いて音づくりや音の対策など、音場のシミュレータとして使われているようです。 

また、先ほどのデモで聴いてもらったシステムは簡単に持ち運びができるものです。私たちとしてはこのシステムをあらゆる場所で活用できるものにしたいと考えています。例えば、コンサートホールで「親子室」を備えているところもありますが、親子室の音って、ぜんぜんケアがされていません。そこにこのシステムを持っていき、ホールと同じ響きで音を再生できれば、雰囲気が格段に違ってきます。あるいは身体の自由が効かない人たちが自宅で他所の音の場を体験できるとか、そういうふうに使っていけたらなと思っています。 

Project:舞台芸術と音響技術による社会包摂のデザイン 

昨年度、ソーシャルアートラボでは尾本先生と長津結一郎先生が担当で「舞台芸術と音響技術による社会包摂のデザイン」のプロジェクトを実施しました。2022年3月18日にはセミナーを開催し、北九州芸術劇場と大橋キャンパスの録音スタジオをネットワークでつなぎ、講義とパフォーマンスを行いました(詳細はコチラ

写真2枚:3月18日に行ったセミナーの様子。手前の演者(大橋キャンパス録音スタジオ)と奥のスクリーンに投影された演者(北九州芸術劇場)がリアルタイムで共演

−このプロジェクトで音場再生システムを活用されたのでしょうか。 

プロジェクトの一部として活用させてもらいました。実験室のシステムと同じようなものを作って、ITネットワークを使って北九州芸術劇場と学内の録音スタジオをつなぎ、2つの会場で同じ雰囲気の音を聴くという試みをしました。トライアルでの実施だったので、演出にどう使えるかとか、コンテンツとどう折り合いをつけていくかというのはまた別で、それは今後の課題ですね。

−プロジェクトの感想は? 

可能性はあると感じました。出演者たちが違う場所にいて、それぞれ遠隔でプロジェクターで投影されながらパフォーマンスをするという面白い試みでした。 

写真2枚:同セミナーの様子。手前の演者(大橋キャンパス録音スタジオ)と奥のスクリーンに投影された演者(北九州芸術劇場)が、ダンスやピアノ演奏などをリアルタイムで共演。 

ですが、通信が整っていないと何もできないなど技術的な課題はあり、また繰り返しになりますが、やはり演目や演出との折り合いはまだ難しいところです。やりようによってはもっと音響システムの技術を生かせるはずでしたが、何しろオペレーションする方も私たち作る方も初めてのことでしたから。演じにくくなるから音を下げて欲しいと言われたこともあったり、その辺がまだスムーズには行きませんでした。 

−出演者たちの反応は? 

やりにくいという声も聞きましたし、面白い試みという意見もありました。トライアルでいろいろ大変な中、しかもコロナ禍で毎日検査も受けながら、本当によくやってくれたなと思います。 

−改良できそうなところはありましたか。 

3月のセミナーでは、スピーカーを前に置いて雰囲気だけ近づけたという感じでした。今年の8月に、残響室の柱にスピーカーを設置したので、今後はもう一レベル上のことができるかもしれません。もし3月と同じことをやったとしたら、今なら北九州芸術劇場の現場により近い音の体験ができると思います。 

Project:聴覚障害のある人にとってのコンサートのあり方についての実践研究  

尾本先生と長津先生は今年度、聴覚障害者にとっての「音楽」とはどのようなものなのかを質的に整理し、聴者にとっての「音楽」との接点をどこに求めることができるのかを探索し、実際に試験的なコンサートを実施することで、聴覚障害者の求める音楽コンサートとはいかなるものかを明らかにするプロジェクトを実施しています(詳細はコチラ)。
今年度の集大成となる企画「きこえないあそび。きこえないムジカ。」は2023年2月4日(土)、5日(日)に大橋キャンパスで開催される予定です。 

−このプロジェクトに取り組んだきっかけを教えてください。 

私たちが取り組むべき課題として挙げているものの一つが音響福祉工学です。その一環でホールマネジメントエンジニア育成プログラムと一緒に、あるいはソーシャルアートラボと一緒に何かできることがないかなと考えたのが始まりでした。また、ぜんぜん違う方面から、以前本学で補聴器を専門にやっていた先生から何か一緒にやれると面白いかもと声をかけていただいたり、ジブリ映画で音を作ったりしている本学OBで私の先輩に会ったりするなど、いろんなことが折り重なって、「じゃあ、やってみるか!」となりました。 

−具体的にやることは決まっているのでしょうか。 

まだ詰まっていません。聴覚障害のある人に向けてどうやって音を提示するか、いま学生たちからアイデアを募っているところです(学生たちによるアイデア発表の詳細はコチラ)。 

授業でも取り入れながら、学生たちとともにプロジェクトを構築
学生たちによるアイデアの発表 
 

以前、ウーファーという低音専用のスピーカーユニットをデバイスの一つにして、椅子の下に置き、聴覚障害のある人にも音の振動を感じてもらうとか、風船をスピーカーの前に置いてその震えを感じてもらうという実験などをやったことがあります。そのように聴覚を触覚に変えるようなものを取り入れるとか、あるいはUD トークのように文字で情報を常に与えられるとか、いろいろなアイデアが学生から出てきています。 

−DIDIでの仕組みづくりをどのように考えられていますか。 

今の時点では、まだ上からの仕組みづくりというのは想像しにくく、ボトムアップというか草の根的にいろいろな実例を積み重ねていくことからじゃないかなという気がしています。「こんなやり方があるんだ」という実例がたくさん貯まってくると、「じゃあ行政を巻き込んで上から仕組みを考えますか」という動きが出てくるんじゃないかなと思います。また企業の場合、ちゃんと儲かる仕組みが見えてこないと乗ってきません。システムづくり、使いやすさ、効果の大きさを構築すること、そしてそれを伝えていくプロモーション力を鍛えることが、まず今の段階では必要なことだと個人的には思っています。 

−それもあって、昨年度も今年度もプロジェクトを実践されていると。 

どんどん実験的にやっていく方がいいと思っています。いきなり「出来ます」というやり方もあるんでしょうけど、そう簡単にものごとは運びません。多くの人が効果を感じるようなものは、手探りで進めないとわからないものではないでしょうか。大風呂敷を広げるのは個人的には好みではないし、方法としては地道にやっていく方がいいと思っています。 

−以前、先生は「アートと工学」について論考を書かれていましたが、技術提供をすることによって芸術の表現の幅は広がるなと、今日のお話を聞いて改めて感じました。 

それこそが、芸術工学研究院のやるべきことだと思っています。響きの計算とか音響のシステムづくりとかだけでいうと、他大学でも優れた成果がいっぱい出されています。ですが、うちは音だけはどこにも負けたくありません。どこよりも「芸工のが、いい音するね」って言われるように、また使い勝手も含めて「芸工のシステムって優れてるよね」と言われるようになることを目指しています。そこはとても大きいです。 

DIDIの教育面について

−昨年度のプロジェクトは、ホールマネジメントエンジニア育成プログラムとして授業内で実施されていました。今年度のプロジェクトも授業内に取り入れているのでしょうか(昨年度の授業のレポートはコチラ)。 

今年度、芸術工学府の改組にともない、新しくスタジオプロジェクト科目を開講しました。コースの違う学生が一つのスタジオに集まって、課題解決を目指すというものです。仮想スタジオですが、いま25種類のスタジオがあります。そのうちの1つのスタジオで「聴覚障害とコンサートのあり方を考える」という副題のもと、ホールマネジメントエンジニア育成プログラムを履修する学生を中心に授業を展開しています。 

−DIDIのプロジェクトを授業内で実施することについてどうお考えですか。 

どんどん進めていこう!という感じです。もちろん学生次第ではありますが、学生たちはみな意識が高く、これからの時代、社会包摂について考えることは常識となっていくような気がします。いま授業でやっている課題は、社会包摂を前提に考えるような内容にもなっていると思います。加えて1つのプロジェクトという位置づけで、技術面に注力した人にも入ってもらえると、チームができあがります。 

コンセプトを考える人、マネジメントする人、さらに技術的なサポートをする人といった役割分担まであれば、もはや会社ですよね。そういうことも授業で体験できます。前期では、音響設計コースだけでなく、未来共生デザインコースメディアデザインコース環境設計コースの学生たちも入ってくれて、皆で熱心に取り組んでくれました。 

−最後に、芸術工学研究院長として芸工をこれからどうしていきたいかはありますか。 

改組もしましたし、専門性は本当に強くなっていて、社会に対応するということもすでにやっています。挙げるとしたら九大の中でのプレゼンス、存在感がもっと強くなりたいと思っています。以前、理事の前で研究院長就任の初心表明をしたときに「芸工の人たちを通して、九大でやっている研究成果をもっと美しくデザインするなり、使いやすくデザインするなりして世の中にアピールできるように、フィルターのような存在になりたいです」と言ったら、「フィルターじゃなくて、どんどん増幅するアンプになってくれ」と返されて、まさにそうだと思いました。そこは強く意識していますね。そのうち、どの先生も学生も「九大です」って自己紹介すると、「芸工がある九大ですね」って言われるようになるのが、個人的な目標です。強くなりたい。芸工はすでにパワーがすごくあるので、うまく九大と噛み合うとリードできる存在になりえると思っています。それを地道に進めていけば他の学部も続いてくるでしょうし、その接点をうまく突いていけば大学全体がより強くなるような気がします。 


尾本先生からのおすすめ本 

・社会包摂からの音響工学へのアプローチに関心を持つ方へ 

『Active Control of Sound』 P. A. Nelson, S. J. Elliott, Academic Press, 1992  
「今の授業を組み立てる際に、最も影響を受けて利用させてもらっている教科書です。嫌な音に別の音をぶつけて消去する手法(能動制御と言います)について、物理的な原理から信号処理の基礎まで、丁寧に述べられた迫力ある本です。1995年に著者の一人であるElliott 先生に10カ月ほどお世話になり 、そのときに大学人としての姿勢も学ばせてもらった思い入れのある本です。」(尾本先生) 
 
『サウンドレコーディング技術概論』日本音楽スタジオ協会 編 
「主に専門学校の学生さん向けに、レコーディング、ミキシングなどのエンジニアになる際に必須の項目を網羅した教科書です。 
芸工の先輩が主導して編纂され、音響設計の学生もしばしば受験する資格認定試験のための教科書として現在も運用されています。私も中身の執筆を少しお手伝いしましたが、難しすぎると言ってずいぶんダメ出しされました。吉田保さん(大瀧詠一や山下達郎の録音エンジニアだった)、井上鑑さん(福山雅治のバックで今もピアノ弾いてる)も執筆されていて、同じ本の中に自分の名前が並んだのが大変嬉しかった覚えがあります。」(尾本先生) 
 
『Active Control of Sound』は嫌な音を消す、『サウンドレコーディング技術概論』は良い音を良い状態で録音する、という教科書です。音に関して相反する側面を知ることができた2冊です。これらの複合的な見方が、人のために良い音の再生に注力するという今の研究のきっかけになっているのではないかと考えています。(尾本先生) 
 
『音の福祉工学』伊福部 達 著(コロナ社) 

「急速な高齢化に伴い感覚や伝達器官の障害者も急増している。本書は音に関連する障害者に,現在の音響工学技術が補助できる範囲,また音の福祉工学が音声の認識・合成,環境認識,人工現実感などの技術とどう結びつくかを記述した。」(コロナ社サイトより 
「“社会包摂と工学”を学べる教科書です。ただ、1997年出版で,そのずいぶん前の研究成果が載っていて少し内容的には古いので、先行研究を学んだ上で中身をアップデートできるように頑張りたいな、と考えている次第です。」(尾本先生) 

・エッセイや漫画のおすすめ本 

わしらは怪しい探検隊椎名 著(KADOKAWA 

「おれわあいくぞう ドバドバだぞお……潮騒うずまく伊良湖の沖に、やって来ました『東日本なんでもケトばす会』ご一行。ドタバタ、ハチャメチャ、珍騒動の連日連夜。男だけのおもしろ世界。」(KADOKAWAサイトより 

「個人的なおすすめですが、よく読んでいたのは椎名誠さん。飛行機に乗るたびに一冊読んだりと結構な数の著書を読んでいます。中でも『わしらは怪しい探検隊』というシリーズのエッセイが本当に好きで、若い頃にたくさん読みました。ストーリーも目的も何にもないんです。ただ単に“探検隊”って言っているだけで、例えば海岸に行って火を燃やしてお酒飲んで帰ってくるだけだったり。メンバーも毎回バラバラで駅に集合してそのまま行って帰ってくるだけとか、何のルールもないから、読むと何となく自分ものんびりできていいんです。椎名さんの作品に溢れている“人を楽しませよう”というパワーに、いい意味で影響を受けているような気がします。」(尾本先生) 

YAWARA!』浦沢 直樹 小学館 

「素敵な恋に憧れる普通の女の子・猪熊柔は、実は祖父・滋悟郎の指導を受けた柔道の天才少女。そんな彼女がオリンピックの金メダルと国民栄誉賞、そして日本スポーツ界のスーパースターになることを目指す!?」(小学館eコミックストアサイトより) 

「漫画が大好きで、一番いいなと思った作品が『YAWARA!』です。この作品は素晴らしいですよ。旧ソ連の選手テレシコワと戦う前だったかな、柔の祖父・滋悟郎の “必殺技っていうのは、相手が何を仕掛けてきても掛けられるもんじゃ”という台詞がずっと心に残っています。どんな状況でも自分はこれだったら勝てる、という強みを持つことがすごく大事で、研究者としての姿勢にもつながるなって思います。何度も読み返している名作です。」(尾本先生) 

ゴルゴ13さいとう・たかを 小学館 

「特定の政治信条、倫理観を持つ事なく、依頼主からの多額の報酬のみを根拠に行動する超A級スナイパー・ゴルゴ13。狙った獲物を仕留める、その成功率はほぼ100%だがーー!?」(ビッグコミックBROS. NETサイトより) 

「『ゴルゴ13』もほとんどの話を読んでいます。今から7〜8年より前に出た話が特に好きで、昔の話を集めた単行本をコンビニで見つけるとつい買ってしまいます。取材が緻密で、世界で起こっている大きな出来事の裏側がだいたい分かるので、漫画を通して世界のニュースを自分なりに解釈できます。多分フィクションなんでしょうけど、脚色が本当に上手いです。」(尾本先生) 

このほかにも、『あぶさん』『ドカベン』水島新司 作 が大好きと言っていた尾本先生。現実の世界とフィクションとが絶妙に入り混じる作風のものや、その時代の世相をリアルタイムで生き生きと描くような作品がお好きとのことです。常に社会を見つめ、工学の技術を通して多様な人たちの文化芸術活動をサポートする研究・実践を行う尾本先生らしい一面だと感じました。 

<プロフィール> 

尾本 章(おもと あきら) 

九州大学大学院芸術工学研究院 音響設計部門 教授 
【大学院(学府)担当】 芸術工学府 音響設計コース 
【学部担当】 芸術工学部 芸術工学科 音響設計コース 
九州大学 副学長、芸術工学部長、芸術工学府長、芸術工学研究院長。
騒音の能動制御を防音塀に適用する研究、ならびに制御に必要な適応アルゴリズムに関する研究を経て、最近では比較的小規模な閉空間の計測・評価・制御をメインのテーマとして研究活動を行っている。 
2013年度からは、音場再生において、工学的に正確な手法と、芸術的に用いられる演出手法を合理的に融合させる方法、さらに2017年度からはそれら音場再生システムの社会実装に関して検討を行っている。2020年度以降は、特にシステムを直接的に人の福祉に活用することを目指し、音響福祉工学を活動のキーワードに加えている。 

▶︎2022年度DIDI年次報告書 授業「スタジオプロジェクト」

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