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DIDI.Newsletter(2022年10月公開)

2022.10.26

今号は、谷正和先生のインタビューです。谷先生は社会包摂デザイン・イニシアティブ(DIDI)の立ち上げにあたり、発案・設立にも大きく貢献しました。谷先生がこれまで行ってきた研究や、設立から1年半経過したDIDIへの感想、今後の期待などについて聞きました。 

谷先生の研究活動について 

谷先生は環境人類学を専門に、環境問題の社会的分析などを研究しています。1998年から2010年頃までバングラデシュの地下水の砒素(ヒソ)汚染を調査研究、また2009年より森林破壊と地域住民の生業活動の調査をスタートし、その地域へ2017年に大量の難民が避難してきたことをきっかけに難民に関わる問題や影響についての調査研究も行っています。

バングラデシュの地下水砒素汚染。調査から対策、啓発まで 

−先生が行ってきた研究について具体的に教えていただけますか。まずは、地下水砒素汚染について。 

日本の砒素被害の知識をアジアの砒素汚染地域に伝える活動をしているアジア砒素ネットワークというNPOが1997年に初めてバングラデシュで調査を行い、その翌年に企画された村落調査での計画と実施を私に依頼されました。それでバングラデシュのシャムタ村を訪れ、どういうふうに砒素汚染と砒素中毒が広がっているかという調査をはじめました。 

バングラデシュでの調査の様子 

−砒素中毒の被害は、特にどのような人たちが受けているのでしょうか? 

砒素汚染は人為的なものでなく、自然由来の砒素が地下水にすでにあるものです。砒素が出る地域はランダムなため被害もランダムに出ると思われるのですが、調べていくと、貧しい人たちに被害が集中していることが分かりました。その原因は私たちもはっきりとは分からないのですが、貧しい人たちは肉や魚といった動物性タンパク質の摂取量がとても少ない。おそらく栄養摂取の状態が悪いため、砒素摂取量が同じでも症状が出やすいのが一因だろうと推測しました。同じ地域でも、砒素中毒の症状は裕福な人たちにはあまり出ず、貧しい人たちに出やすいというのがバングラデシュのパターンです。 

ネパールでも同じような調査をしたところ、もっと複雑で。ヒンズー教の国なのでカースト制度があるのですが、カーストの高い人たちはあまり砒素中毒の症状が出ず、カーストが低くなるに従って症状が出ているということが分かりました。ですが、カーストの高い人は菜食主義者が多く、肉を食べないんです。一方、カーストの低い人は肉でも野菜でもなんでも食べています。つまりバングラデシュで見られた食生活と砒素中毒との関連性が、ネパールでは当てはまらないわけです。しかし、社会的地位の高い人は砒素中毒になりにくく、貧しい人はなりやすいという点は共通していた、という調査結果でした。 

−砒素は土から溶出するんですか? 

堆積層ですね。砒素は自然界ではそれほど珍しいものではなく、堆積層に含まれている砒素が何らかの形でイオン化して溶出します。バングラデシュはガンジス川の最下流のデルタ地帯にあり、そこは勾配が非常に緩やかで、なかなか地下水が流れません。いったん砒素が溶出すると、次の雨季まではその辺りに留まってしまいます。同じように黄河やメコン川、チャオプラヤ川などアジアにある大きな川の下流地域ではほとんど砒素が出ています。日本でも砒素は出ますが、日本の場合は地下水の流れが速いため少々出てもすぐに流れてしまうので、あまり問題にならないようです。バングラデシュのような環境で、砒素の出やすい浅い井戸の水を10年、20年と長期に渡って使い続けていると、だんだん中毒症状が現れてくるというわけです。 

−どのような対策がされているんでしょう。 

バングラデシュはかなり進んでいて、政府も本気で取り組んでいます。私たちもNPOとして、砒素を含まない安全な飲料水を届けることを主題に、簡易水道や地下200メートルほどの深井戸を作ったりしています。また、JICA(国際協力機構)でも、ネパールも含めて様々な規模のプロジェクトを何度もやりました。水をどれだけ供給するかとか、地域の人がどれくらい危険性を認識できるかとか。汚染された水を飲んでもすぐに健康被害が出るものではないため、現地住民の人たちはあまり気にしていないんですね。特に、貧困層の人たちにとっては「明日のご飯のほうがよっぽど大切で、水どころの騒ぎではない」という現状です。その辺の啓発のようなこともやりました。 

バングラデシュでの調査へ。途中、車が泥道にはまって
動かなくなったため、歩いて村へ向かった。
聞き取り調査の様子

ロヒンギャ難民のホスト社会と自然環境への影響 

−次に、難民に関わる調査研究について教えてください。 

砒素の場合、環境問題が起こって貧しい人々が特に影響を受けるわけですが、逆に貧しい人たちが環境問題を起こすという事例もあります。バングラデシュの南東部にテクナフ半島という南北100キロ、東西10キロほどの細長いエリアがあり、ここでは森林がだんだん減ってきています。川を隔ててミャンマーに面しており、以前からロヒンギャ難民というミャンマー側に住んでいるイスラム教徒が迫害を逃れるためにテクナフ半島に流れ込んでいました。森林が減少しているのはそのロヒンギャ難民のせいだという言説があり、それを確かめるために現地を訪れてみました。それが2009年でした。 

確かに、貧しく収入の道もない人たちは森に木を切りに行くしか生活の術がありません。まさにロヒンギャは仕事もなく木を切るしかないのですが、現地で調査したところ、ロヒンギャが切る木の量はそんなに大したことはないと思われました。結局、ロヒンギャ以外の周りの人々も皆、木を切っているんですよね。そのような現地の事情を俯瞰しながら、森林減少の要因をずっと調査していました。そうこうするうちに、2017年の夏に約100万人と言われるロヒンギャ難民がどっと流れ込んできました。それまでこの半島の人口は30〜40万人程度でしたが、その何倍かにあたる人たちが現在も難民キャンプで生活しているという状況です。 

−100万人はすごい数ですね。 

本当に凄まじいです。現在の福岡市の3分の2ぐらいの人口が流れ込んできたわけですから。私たちとしては森林破壊の調査を続けようにも、難民がどっと流入してきたため難しくなりました。一方、ロヒンギャ難民が100万人も流入したことで、自然環境だけでなく社会環境にも影響があるわけです。それで、ロヒンギャ難民のホスト社会と自然環境への影響について研究調査を行うようになりました。 

基本的に、難民を受け入れる側は迷惑がるのですが、よくみてみるとそうでもない側面もあると最近は思っています。経済面でみると人口100万人というのは大きな力であり、いわゆるGDP的な考えでいくと、かなり飛躍的に伸びるはずなんです。そういう経済的なプラスに加え、国連などが援助に入るため巨額のお金が動きます。2022年の予算額はおよそ3.5億ドルで元の地域総生産の何倍ものお金がこの地域に入り、それで雇用や労働力が生まれたりしています。悪いことばかりでもなさそうだと思いながら、調査研究を深めているところです。 

テクナフ半島にて。釣り船がずらりと並ぶ。
テクナフ半島での調査の様子

社会包摂デザイン・イニシアティブ(DIDI)について 

1年半経って見えてきたDIDIのポテンシャル 

−DIDIが発足した経緯を教えてください。 

私が本学の芸術工学研究院長の2期目のときに部局の研究事業を検討していて、私の専門が社会科学系なので、せっかくならば社会系のデザインをやってみようかとなったのがきっかけです。社会包摂という言葉はもう少し後に出てきたんですけども、社会に貢献するようなデザインを勉強しようということになり、中村美亜先生と尾方義人先生に声をかけました。それで、中村先生、尾方先生、私の3人で半年ほどかけて準備をし、国の概算要求に提出して承認を受け、DIDI が誕生しました。 

−発足から1年半経過しました。現在のDIDIの活動についてどのように感じられていますか。 

各方面からの反応もいいですし、ニーズもあると思っています。本学の中にも、男女共同参画など似たような組織もいろいろあるのですが、DIDIのように社会全体に関わる包摂をやろうとする組織は初めてです。そういう意味でもバランスをとりながら波及ができていると思います。もちろんそれは中村先生や尾方先生をはじめ教員たちのいろんな活動が実を結んで、形になってきているということです。 

ただ学内でも学外でもほとんどの人に、DIDIの活動が「デザイン」とは思われていません。「デザイン」って何かと、もう少しよく考えてみると、一般的にデザインと言うと色や形などの見た目なんですね。もちろんそれが8割だと私も思います。ただ、それだけじゃなくて、そこからどんどん拡張していって「コト」とか「ビジョン」のデザインもあるんだよということです。アイデア、技術、素材などいろんな要素を、実際にどう社会の価値に変えられるかというのがデザインの中心ではないでしょうか。 

音楽で例えるならば、デザインは作曲ではなく編曲です。いいメロディをいかに社会の中に価値として流せるか、それは編曲にかかっていると思うんですね。DIDIの場合も、いろんなアイデアや仕組みをいかに社会の中で機能するようにしていくかというのが一つの方向性だと思っています。 

まだ1年半しかやっておらず、少しずつ進んでいる状態ですが、いろいろ「こういうこともできそうだな」と、ポテンシャルはずいぶん見えている気がしています。そういう意味では、なんとかうまく滑り出したかなと感じています。またDIDI では教育方面にも目を向けていて、授業に取り入れたりもしています。1〜2年ではわかりませんが、4〜5年ぐらい経つと、これが効いてくると思っています。 

−教育面からどのような効果が得られるとお考えですか。 

学生たちは多くの場合、受け身で授業を聴いている傾向がありますが、次第に自分で考えるようになっていく学生ももちろん出てきます。そこからさらに我々側にインプットするようになってくると、ものごとが広がっていきます。そういう意味でも、いま教育にフォーカスしていっているのは、次世代へつないでいくためにも良いことです。 

これからの期待と課題 

−DIDIの今後に期待することは。 

研究院長を務めていたときからずっと、大学の垣根を低くしたいという気持ちが私の中にありました。大学の外と、良い意味で曖昧につながっていって、一緒に活動できる場がつくれるといいなと。DIDIでもすでに福岡市や北九州芸術劇場など外部と連携したプロジェクトをやっていますが、このような形でもっと大学と大学以外の社会がうまくつながるようになっていくといいですね。研究機関ですから論文を書くことももちろん重要ですが、DIDIが在ることによって社会がどれくらい良くなるかという方向に広がっていけるといいなと思っています。 

−大学と社会との架け橋というイメージでしょうか。 

架け橋というよりも、境目がない感じで広がっていけるといいなと思います。そうすると本当の意味での社会包摂になるのではないでしょうか。境目のないイン/アウトの相互作用をどうデザインするかというのが、今後のDIDIの一つの課題かもしれませんね。 

−社会に向けて開けた大学になることで、多くの人の興味関心が大学に集まるように思います。 

やはりデザインとは、そのように機能すべきものだと思います。結局、社会に根ざした課題じゃないとデザインにならないし、社会から離れたデザインは有り得ません。そういう意味でも、DIDIはもちろん、芸術工学研究院はそのようにデザインをとらえるべき機関だとは私は思っています。 


社会包摂からの環境問題へのアプローチに関心をもつ方へ、谷先生からのおすすめ本

村の暮らしと砒素汚染 正和 九州大学出版会 

「ガンジス川流域の農村に広がる地下水汚染,安全な井戸作りに奮闘する日本のNGO団体,環境人類学の視点から援助のあり方を考える。砒素汚染を環境科学的に捉えるのではなく,村人の暮らしと砒素汚染の問題を文化人類学的観点から分析する。」(九州大学出版会サイトより) 

「シャルタとマルアという2つの村を何度も訪れ、いろいろ聞いた話をまとめています。私は最初、砒素汚染で被害を受けた村と聞いたときに、なんとなくムンクの叫びみたいな絶望的な村をイメージしていたのですが、実際に現地を訪れてみたらすごく長閑な農村で、そこにまず驚きました。そういうところからこの調査は始まりました。先ほどお話しした地下水の水質汚染の調査研究も、この本にまとめています。」(谷先生) 

※「第10回 国際開発研究 大来賞」受賞(2006年) 

『Deforestation in the Teknaf Peninsula of Bangladesh』(Springer) 
・Comprehensively deals with the causes of deforestation in the Teknaf peninsula 
・Household surveys, physical measurements and satellite image analysis indicate the originality of the study 
・Local people, researchers, development workers and policy makers can use this as a reference for developing future plans 
Springerサイトより) 

「こちらも先ほどお話しした、森林の減少と貧困の関係についての調査研究を詳しくまとめたものです。私が構成・編集をした本で、研究グループ全員で分担して執筆しました。」(谷先生) 

チョコレートの真実キャロル・オフ 著 北村陽子 英治出版) 

「世界で最も愛されるお菓子・チョコレート。その甘さの裏には、苦い真実がある。カカオ生産の現場で横行する児童労働の実態や、巨大企業・政府の腐敗。今なお続く『哀しみの歴史』を気鋭の女性ジャーナリストが危険をおかして取材した、『真実』の重みが胸を打つノンフィクション。」(英治出版サイトより) 

「チョコレートがどう作られているか、誰のおかげで支えられているかという本です。カカオを生産している人たちは非常に貧しくてそれこそ行動の自由もない、いわば奴隷労働者なんですね。カカオがチョコレートになり板チョコ1枚何百円とかで売られるわけですが、生産者はその1枚で1円とか2円とかの利益しかありません。それでいろいろ問題があって……という話です。ちなみに、福岡で一番高いチョコレートの値段ってご存じですか? 1粒1,500円だそうです。」(谷先生) 

人新世の「資本論」斎藤幸平 著集英社新書) 

「人類の経済活動が地球を破壊する『人新世』=環境危機の時代。気候変動を放置すれば、この社会は野蛮状態に陥るだろう。それを阻止するには資本主義の際限なき利潤追求を止めなければならないが、資本主義を捨てた文明に繁栄などありうるのか。いや、危機の解決策はある。ヒントは、著者が発掘した晩期マルクスの思想の中に眠っていた。世界的に注目を浴びる俊英が、豊かな未来社会への道筋を具体的に描きだす!」(集英社新書サイトより) 

「人の活動が実質的な変化をおよぼす時代。要するに一番新しい地質年代として『人新世』というのが提唱されていて、そこで一番の問題とされるのが温暖化です。温暖化はもう止められず、進むと今の生活はもう成り立たなくなっていく、そこをどうすべきか。そういう人新世になって、今までの資本主義的な社会では成り立たないという話ですが、かなり面白かったです。」(谷先生) 

世界を変えるデザインシンシア・スミス 著 槌屋 詩野 監訳 北村陽子 英治出版) 

「シンプルだが、考え抜かれたデザインが、人々の生活を大きく変える。消費社会にあふれる『もの』とは少し異なる、世界を変えるための『もの』。高価ではなく、機能も単純だが、本当に切実に『必要とされるもの』。そんな『もの』の数々を、本書は豊富な写真とエッセイで紹介する。世界に残された問題のリアルな姿と、『ものづくり』と『デザイン』の大きな可能性が見えてくる。」(英治出版サイトより) 

「途上国のいろんな問題に対してどうデザインするかという本です。例えばアフリカで、水汲みを1日かけて水源まで行ってバケツに汲んで帰ってきてというような地域では、タイヤのようにごろごろ転がして運べる容器が発案されていたり。水を運ぶというアイデアを形にすると、通常のバケツはその一つであって、そのようなタイヤ状の容器にすると明らかに運ぶのが楽になります。そういう途上国を支援するための機能的なデザインがいろいろ載っています。シリーズ本にもなっていますね。」(谷先生) 

世界一大きな問題のシンプルな解き方ポール・ブラック 著 東方雅美 英治出版) 

「15カ国、2000万人の貧困脱却を可能にした単純かつ大胆な解決策とは――?『残りの90%の人たちのためのデザイン』を提唱し、スタンフォード大学やMIT(マサチューセッツ工科大学)など最先端の研究者から絶大な支持を集める社会起業家が贈る、本当に貧困を解決したい人たちへのメッセージ。30年間にわたり現地の人びとと対話し続けて培ったデザイン・ノウハウの全てを大公開。「世界を変える仕事」のリアルな姿が見えてくる!」(英治出版サイトより) 

「私は開発援助も専門にしていますが、開発援助の中で貧困の解決が一番の問題なんです。この著者は、貧困を解決するためにはお金を儲ければいいと提唱し、12のステップのルールに則っていろいろ実践的にやっています。なるほどねと思うところが多くて、私も授業で使っていた本です。」(谷先生) 

<プロフィール> 

谷 正和(たに まさかず) 
九州大学大学院芸術工学研究院 ランドスケープ・社会環境デザイン 教授 
【大学院(学府)担当】芸術工学府 芸術工学専攻 
【学部担当】芸術工学部 芸術工学科 環境設計コース 
未来デザイン学センター長。専門は環境人類学。バングラデシュにおける地下水砒素汚染問題解決、バングラデシュ・テクナフ半島の森林破壊と地域住民の生業活動の関係、同地域へ大量に流出したロヒンギャ難民のホスト社会と自然環境への影響についてなどの研究調査を行っている。 

〔関連リンク〕 

九州大学芸術工学部 
対談集『未来構想デザインコースの教員「未来構想」を語る』より
環境人類学者「未来構想」を語る 谷正和

▶︎2022年度DIDI年次報告書①第3回研究会「共生」
▶︎2022年度DIDI年次報告書②授業「社会包摂とデザインA」

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